楽しい事を中心に、日記・エッセイ・格闘技批評・・ 色々やります。是非見てください!


プロフィール

米田一弘

Author:米田一弘
本名:まだ秘密。時がきたら。
趣味:格闘技観戦(テレビ、生)
血液型:O型
出身地:千葉
利き腕:右
利き足:分からない
好きな図形:二等辺三角形
好きな食べ物:レモン、梅、酢
好きな動物:アカセスジガメ
好きなひらがな:れ
好きな芸人:江頭2:50、上島竜平
嫌いな若手芸人:上記以外
嫌いな司会者:みのもんた、草野仁、黒柳徹子
嫌いな曜日:月曜日
好きな女優:松たか子
好きな格闘家:美濃輪育久
嫌いな格闘家:秋山成勲、曙

泣く子も黙る、本能系。格闘家、美濃輪育久に憧れるあまり、自らを『リアルプロレスラー』と勘違いしてしまった経緯を持つ。部活では叫びながらランニングをこなし、風呂では素もぐりの自己記録挑戦中に溺れかけ、飼っている亀の水は30分でかえてしまう。高校入学直後、自らを見つめなおすたびに出るため単身ハワイへ。友人に会う。帰国後、猛勉強を開始。「キモい」といわれる。
(一部嘘あり。)
余談だが、母の作るおにぎりは異様にデカい。3つで僕の胃袋を満足させる特性を持つ。そんな期待に応え、僕は彼らを食べる場を選ばない。ある時は電車で、ある時はバスで、そしてまたある時はショッピングモールの食品売り場で食べ歩く。「胃袋に空きがある限り、僕は食べる」が信条。



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『ハメを外した忘年会』
「忘年会の店には僕が案内しますので任せて下さい」。
そう仕切る後輩が先頭ではなく真ん中ぐらいを歩くことに必死でツッコまないようにしながら、僕らOゼミは定例会(Oゼミが月に一度催す飲み会)兼オープンゼミ打ち上げ兼忘年会の会場へ。
「この先を行ったところに吉野家がありますので、その交差点を左に行って下さい」。
そう仕切る後輩が左ではなく右を指さしていたことについにツッコんでしまった僕。不覚だった。
お好み焼き屋。貸切。3時間飲み放題食べ放題4000円コース。確実に荒れるこの会。僕はむしろ『荒らす』気だった。僕が「ヤル」と言った時は本当に「ヤル」。運命を決める席に着いた。
「ヨネ、その席一番いい席だなぁ!笑」
T君(住職第一志望)の言葉の通り、僕の行動はずるいぐらい俊敏だった。僕が真っ先にとったのは奥の部屋の隅。ここからなら上手くコールをかわしつつ、全体の流れおよび空気感を察知できる。あとはT君やH君(遅延ズクタン)、K先輩(ドラクエクエスチョン)やS君(いじられイズム)といった『いつものメンバー』が周りを囲んでくれればシールドの完成だ。どうだOゼミ。僕は悠々とトイレへ。
「・・・え?」
トイレから出てきて、驚いた。『いつものメンバー』が4人だけで別の机を囲んでいる。しかし、ここで新たな展開を迎えた。僕と机を囲んだメンバーが、全て後輩だったのだ。かねてより、後輩とは飲んでみたかった。
「あ、今日エグる会だから」。
後輩にそう宣言すると
「そんな気がしてました(笑)」
「てか米田先輩と飲むの初めてですよね~!」
と前向きな返答が来た。
僕は後輩3人と乾杯前に食べ物をつまみ、もんじゃ焼きを「ゲロみたい!!」とデカイ声で叫びながら作成し、どさくさに紛れて輪っかを解体し、店員の女の子にあだ名をつけ、「カキのお好み焼きありますか?え?ないんすか?じゃあカキの何があるんですか?カキフライ?じゃあカキフライ3つで」などど面倒な客になり、いつの間にかカキフライは常にテーブルにあるようにするといった暗黙のルールができたりとやりたい放題やらせてもらった。
「いやぁまた出禁の店できるのかなぁ~!」
「卒論早く終わって何が悪いんじゃ!!こっちは係の仕事を全くせず、毎週月木早起きして着々と卒論進めたんど!!」
「おいおい後輩W君!!お前何甘いもの飲んでんだよ!?お前は定例か!!(=「定例飲みか」、つまり忘年会を含めたこの会で甘ったれた飲み会をするなということ)」
酒もトークもピッチが最高潮だった僕。ただ、『先輩』という権力を使って後輩にコールを振って潰すのは好きではない。そもそも『飲み放題』で後輩にばかり飲まれていては損である。かといってここはサークルEではない。潰されるのはキャラじゃない。ゆえに自ら潰れる。後輩には、「先輩があんだけ飲んでるから・・・」という負債感で飲んでいただきたい。
「お前らが飲んでないってことはオレの飲み方が足りないってことじゃ!!」
ビール、ハイボールと段階を踏んだと思ったらいつの間にか手には日本酒があり、目の前がかすみ始めた。
「米田先輩すみません!自分も飲みます!」
「オ、オレも!!」
「もうオレ米田先輩に一生付いていきますwww」
「おうおう!ただな、後輩にだけ飲ませてたまるか。オレも飲むがや!!乾杯!!」
面白くなってきた。

パタリと一瞬消えた記憶。ふとした時には、僕は顎に猛烈な違和感を感じていた。ちなみに口には後半ヤケクソ気味にみんなで作ったソバメシが混入していた。
‘あ、これやっちゃった・・・フッ。’
本当にピンチの時、思わず笑うのが僕の習性。どうやら顎関節症歴22年の僕の顎が、完璧に外れたようである。ひとまずハメなければ、トークができない。トイレへ。
直らない。とりあえず用を足して考える僕。本当にいろんなことを考えた。出た結論は、‘一旦帰ろう’だった。ちなみに口の中に入っていたソバメシの焼きそばは1本だったが、いかんせん顎が外れていたため飲み込めなかった。
トイレから出た。
「あおね、あおあはふへたお(=あのね、顎が外れたの)」。
周囲の後輩たちに宣告する僕。
‘後輩たちが引いたらどうしよう・・・’
それだけが本気で不安だったが、後輩たちは大爆笑だった。
「あおね、あおあはふへたお(=あのね、顎が外れたの)」。
こんな機会めったにないからとばかりにとりあえず遺言を残し会場を後にした。駅まで後輩が送ってくれた。彼は多次元論文チームの後輩であり、サシ飲みをする約束をしていたため、今日がそれに当てられず個人的には残念だった。家族を電話で呼ぶ。家族を待つ。
後輩「え、痛くないですか!?大丈夫ですか!?」
米田「ほーほーはいほうふ。いはふははいはは。ひふはひひはひへ。(=おーおー大丈夫。痛くはないから。心配しないで。)」
昔上腕を骨折したのに病院に行かずそのまま放置したため肩が変形したまま自然治癒した父を持つ僕。ゆえに痛みには滅法強い。昔上腕骨を骨折した時は病院で3時間放置されても耐えきったし、皮膚の炎症は深夜深く寝入るまで掻かずに耐えることができる。
後輩は僕の「はいほうふ」発言に安心してくれたようだ。そんな後輩が次に言った言葉は・・・
「あの・・・申し訳ないんですけど写メ撮っていいですか?www」
「ひーほ。(=いいよ。)」
パシャリとし、後輩が店から荷物を持ってきてくれたあたりで家族が到着。後輩と別れ、病院へ行く事にした。どの病院に行けばいいのか交番に聞いている間に、強烈な酔いが来襲。下水に1ポンプ。
‘あれ、そういや「米田先輩に一生付いていきます」って行った後輩、病院には付いてこないのかな・・・’
などと考えていたがどんどんその余裕がなくなっていった。その裏で、「え?顎が外れたんですか?え、顎ですか!?」とテンパり気味な交番の方。
救急車がいらっしゃった。中学の時の胃痙攣、同じく中学での上腕骨骨折に続き、3回目の病院送りの暴君。『病院送り』というか今回ばかりはちょっと病院に立ち寄るぐらいの気分だった。後輩と駅にいた時までは、
‘あぁやりたい事いっぱいあったのになぁ・・・。’
‘あ、顎が外れた時みんなで記念撮影するの忘れた・・・。’
‘後輩用にコール3つぐらい考えたのに、あれお蔵入りかぁ・・・。’
などと考えていた暴君であるが、救急車に乗ってからは本当に大変だった。
実際、顎の方は何ともなかった。問題だったのは激飲みした日本酒の酔いがここで一気に回ってきたこと。とにかく、救急車の中で吐きまくった。救急員は向かう先の病院と連絡を取る。
「あーもしもし。え~米田一弘さん。22歳男性。どうやら顎が外れてしまったようです。・・・あー吐いてます吐いてます。たくさん吐いてます。」
なんか吐きすぎて、『顎の件』で救急車に乗ってるのか『吐いてる件』で救急車に乗っているのかわからない微妙な空気になる救急車内。
「ふひはへんへ~(=すみませんね~)」。
真面目に謝ってるのになんかふざけてる感じになっちゃう僕。

病院についた。医者が僕の顎を見るなり口の中に指を入れ、「力抜いて下さいね~」と言って一気に僕のア語をハメ直した。時間にして実に3秒。ハマりが決まった時の感じは凄く爽快だった。それと同時に襲ってきたのは、『顎関節症との別れ』という虚無感だった。
就活中、見知らぬ就活生との気まずい自由時間を「オレ顎関節症なんすよ~」というトークで乗り切らせてくれた僕の顎――(5月20日更新の日記参照)
頬杖をつくだけで外れるかどうか結構賭けだった僕の顎――
2年生の時の学園祭の練習期間に同期に一度外された経験のある僕の顎――(2008年11月11日更新の日記参照)
そういえば今年の学園祭の練習期間にも外れた僕の顎――(11月9日更新の日記および11月16日更新の日記参照)
英文で『three years ago』とかって単語が出るたびに自分の『AGO』を想起させた僕の顎――
バイバイ・・・MY AGO。

エージーオー(=AGO)との別れに浸っていると、医者はこの僕が衰弱していていつもみたいに世界一キレがあって面白いツッコみができないのをいいことに言いたい放題父に忠告を始めた。
「今ハメましたけど、当分吐くのとかは辞めて下さい。」
遠回しに忘年会を禁止するな。
「あと、あくびとかしないでください。」
そもそもその類はしたくてするものではない。そして『とか』って投げっぱなしな感じやめろ。
「あと大声出したり大きく口開けたりしないでください。」
バカ野郎。僕が尊敬する江頭2:50、出川哲郎、上島竜平はみなこれに該当している。今さら人生の僕票を変えられるか。
「あとまぁ今回脱臼ということで、多少癖がついてますのでお気を付け下さい。」
『顎外れた』を『脱臼』っていうのは・・・ちょっとカッコいいじゃねぇかwww

かくして、またゲロゲロしながら無事帰宅した僕。一緒に飲んでくれた後輩、駅まで送ってくれた後輩、迎えに来てくれた家族、そしてエージーオーには心から感謝したい。忘年会、新年会シーズンですが、皆様もお酒とエージーオーにはお気を付け下さい。
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『盗まれた記憶』
僕は小学4年からずっとプロレスが好きだ。もちろん、兄も。互いに二十歳を超えたとなると、人生の半分以上の期間、プロレスファンであるということになる。新日本プロレスに魔界倶楽部旋風が吹き荒れた時、兄弟はその趣向に飽き暮れた。故・橋本真也が挑んだ最初で最後の電流バクはマッチは生でがっちり見たし、グレートムタとTAJIRIのドリームタッグに興奮した夜の帰り道は、山手線と中央線の乗り換えに翻弄された。NOAHについては、今のところ特別な関わりはない。
そんな僕たちは、もちろんすでに『プロレス縛り』でしりとりもこなしたし、新年のカウントダウンをゴング代わりにしてプロレスごっこも開始している。ある程度の知識なら、一般の人よりも備えているつもりだ。そんな僕たちに脂汗をかかせた話題があった。
兄「一弘、新日本プロレスに『ジム・スティール』っていたじゃん?あれって、もともとなんていうリングネームだったっけ?」
一弘「え・・・。」
全日本にいた時、マスクマンとして、『活躍』という程活躍はしていないがとりあえず『出ていた』彼。僕は遠い遠い記憶を必死で思い出した。
一弘「あれだよ!!『ラクロス』ってリングネームだよ!!」
兄「え?」
一弘「え、マスクマンでしょ?」
兄「いや、そのあとフェイスペイントしてリングに上がってたよね?」
一弘「うぅわぁぁ~~~。」
兄の言っていることは本当である。確かに彼は、見かけもイマイチで特別華麗な飛び技も持ち合わせていないマスクマンとして出場した後、フェイスペイントをしてリングに上がっている。その時のリングネームが、出てこない。
兄「てか、ラクロスってどんな選手?」
一弘「マスクは・・・よく覚えてないけど、青っぽかった。」
兄「どんな試合した?」
一弘「いや、回転エビ固めで負けてた瞬間しか覚えてない。」
ファン歴10年以上の僕たちの知識包囲網を難なくかわしていくスティールもといラクロス。正式名称はザ・ラクロス。おそるべし。
一弘「・・・。」
兄「・・・で、名前思い出せる?」
一弘「・・・ロトンド?」
兄「・・・そうだっけなぁ(笑)」
一弘「そうだっけなぁ(笑)」
兄「いや、違う。あれは別人でしょ。」
一弘「ジョニースミス?」
兄「・・・そうだっけなぁ(笑)」
一弘「そうだっけなぁ(笑)」
兄「いや、違うwww」
一弘「モーガン?」
兄「歴代の微妙な外国人選手言ってるだけでしょwww」
一弘「あ、ハインズだ!!・・・。」
兄「あぁー・・・。」
一弘「・・・そうだっけなぁ(笑)」
どうでもいい選手のことに時間を費やすのが惜しく、互いに絶対に違うと分かりながらも、『スティール=ハインズ』で納得しようとしたが、やはり、納得がいかない。ジム・スティールとジョージ・ハインズに共通しているのは、やっぱり『微妙な外国人選手』ということだけだ。
兄「ジム・スティールの得意技って、ジム・スティールのオリジナルだよね?選手の名前ついてないかな?」
一弘「あぁーあのクルクル回して落とすヤツか。・・・。」
兄「そう・・・。」
一弘「・・・あの技の名前なんだっけ?www」
兄「出てこないwww」
得意技の名前まで神隠しに遭うジム・スティール。
なんとか『クルクル回して落とすヤツ』が『ターボドロップ2』であることを思いだした。
一弘「『ターボドロップ2』かぁ・・・。リングネームは入ってないね。」
兄「そうだね。・・・。」
一弘「・・・え、『ターボドロップ1』ってどんな技だっけ?www」
兄「うわぁぁ~~~www」

しばらく悩み、『ターボドロップ1』がとりあえず『持ち上げ方が特殊なボディスラム』であることが分かった。再び、本題へ。
一弘「じゃあさ、山手線ゲームで思い出そうか。」
兄「うん。」
一弘「山手線ゲーム!」
兄「いえーい。」
一弘「『全日本プロレスにいた選手の名前』!いくよ。(チャッチャ)『ジャイアント馬場(故)』。」
兄「(チャッチャ)『百田光雄』。」
一弘「(チャッチャ)『スティーブウィリアムス(故)』。」
兄「(チャッチャ)『ゲーリーオブライト(故)』。」
一弘「(チャッチャ)てか、古くない?こんなんじゃ思い出せないでしょwww」

どうしても思い出せない『ジム・スティール』の昔のリングネーム。
「くそぉwwwでもアイツに時間費やすのが嫌だ。ネットで調べたくはないwww」。
その思いで戦い続けた僕らもついに根負けし、パソコンを開いた。ひとまず、『ザ・ラクロス』を検索し、兄に姿を見てもらおうとした。しかし・・・
一弘「ザ・ラクロスの試合の映像とか画像が全くないwww」
兄「え?www」
一弘「Wikipedia(フリー百科事典)もYoutubeもヤフー画像もグーグル検索でも、ラクロスの姿が出てこない。」
兄「え、これとこれとこのサイト飛んでみて。」
一弘「はい。」
そこにあったのは、ラクロスの輝かしい戦績表(全敗)DVD情報(オールダイジェスト)マスク(レアもので売れ残り)のみ。これぞラクロスの生き遺産。

しかし、その過程で、僕たちは運よく答えにたどり着くことになる。『ジム・スティール』で検索し、Wikipediaを見ると、その片隅に、リングネームが未リンクの黒字表記で記してあったのだ。そこにあった文字は・・・





『ウルフ・ホークフィールド』。

ようやく辿りついた答えに、僕たちは声を荒げた。
一弘「お兄ちゃん!あったよ!!これこれ!『ウルフ』だ。『ウルフ・ホークフィールド』だ!」
兄「あぁー!!」
兄と僕は、顔を見合わせた後、ほぼ同時に言うのだった。



兄・一弘「そうだっけなぁ(笑)」

『技術の過程』
高校時代は毎週のようにエッセイを書いてたものですが、最近はめっきりのその機会が減り・・・。久しぶりに書いてみました。以下、お読みください。
■READ MORE■

『焼肉食べに行く』
久々にエッセイ載せます。高校3年の2月に書いたものですね。ちなみにこの約1ヵ月後から、僕はこのブログを開始しました。
以下、お楽しみください。
■READ MORE■

『チャリと走る男』
僕のチャリ、『松たか号』はパンク歴4回を誇る自慢の愛車だ。今年もやってくれた。新年早々景気づけのパンク。
有料駐輪場で、普通にお金を払って停めたのに、車上荒らしにあったのだ。もちろん、タイヤの裂かれ具合には貫禄がある。そしてもちろん、両サイドの自転車は被害を被っていない。『オンリーワン。だからNo.1』がモットーである。
事件が起きたのは1/21の水曜日。授業には影響がない帰路で、期末テストまでもまだ1日空きがあるタイミング。程よい。僕自身、この事実を悟った時は、‘なるほど’と思った。
その日は帰路はチャリを引きながら歩いた。その後のバイトへの道程は歩いて済ませた。しかしだてに車上荒らしに遭うベテランではない。そのやられ具合はもちろん素人目では手の施しようがなかった。いかなるタイミングで『松たか号』を修理に出すか、その一点に照準が絞られた。
翌日の昼。平日のため、父に車を運転してもらう事は出来ない。僕は車を運転する派ではないため出来ない。そこで僕は、なぜか兄と自転車屋に歩いて行く事を選んだ。
考えてみれば屈辱的な作業だ。ただ僕の愛車が車上荒らしに遭い慣れているがために、金と時間と労力を掛けて修理に行かなくてはいけないのだ。普段時間短縮のために用いる移動手段である『松たか号』が、ここでは正直疎ましかった。だから僕は、









チャリと走った。兄はそれを見て、自身のチャリに乗って漕ぎ始めた。利害一致。僕はチャリを引きながら、十分ランナーとしてやっていけるペースで走った。その後ろ姿を見て、しきりに兄は
「写真撮りてぇ。」
と言った。
周囲の目も気にせず、無論説明や弁解をする気などサラサラなく、僕はチャリと走った。
「なぜ乗らないんだ?」
などと聞くのはよして欲しい。乗れないのだ。それに思い出してみて欲しい。自転車にまだ乗れなかった頃、人間は誰しも、勢いをつけるために始め2、3キロは走ってからサドルにまたがったのではないだろうか。

ランナーとして進んで来たここまでの道。大通りの信号で止まった。止まると苦しい。僕はスタート直後、チャリの前カゴに詰め込んだコートやマフラーをしばし見つめ気を紛らわした。そしてランナー用信号が青に点滅。
「はっ!!」
気合いを入れて走行再開。
「♪K高校 ファイオー それー!!」
自らを奮い立たせるためなら何でもやる。ピッチ走法からストライド走法に切り換えるのも辞さない。そしてゴール。自転車屋に到着した。完走後のインタビューにて僕は答えた。
「今、この県で一番汗かいてるのは僕だから。」
『松たか号』は大人しく修理されていった。
「クーラーを効かせて欲しい。」
という1月の曇り空のもとでの願いは儚く、叶う事はなかった。修理を待つ汗だくの僕から、兄が終始一定の間合いを保っていたのは極めて遺憾だった。
(2009年1月28日記録)


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