楽しい事を中心に、日記・エッセイ・格闘技批評・・ 色々やります。是非見てください!


プロフィール

Author:米田一弘
本名:まだ秘密。時がきたら。
趣味:格闘技観戦(テレビ、生)
血液型:O型
出身地:千葉
利き腕:右
利き足:分からない
好きな図形:二等辺三角形
好きな食べ物:レモン、梅、酢
好きな動物:アカセスジガメ
好きなひらがな:れ
好きな芸人:江頭2:50、上島竜平
嫌いな若手芸人:上記以外
嫌いな司会者:みのもんた、草野仁、黒柳徹子
嫌いな曜日:月曜日
好きな女優:松たか子
好きな格闘家:美濃輪育久
嫌いな格闘家:秋山成勲、曙

泣く子も黙る、本能系。格闘家、美濃輪育久に憧れるあまり、自らを『リアルプロレスラー』と勘違いしてしまった経緯を持つ。部活では叫びながらランニングをこなし、風呂では素もぐりの自己記録挑戦中に溺れかけ、飼っている亀の水は30分でかえてしまう。高校入学直後、自らを見つめなおすたびに出るため単身ハワイへ。友人に会う。帰国後、猛勉強を開始。「キモい」といわれる。
(一部嘘あり。)
余談だが、母の作るおにぎりは異様にデカい。3つで僕の胃袋を満足させる特性を持つ。そんな期待に応え、僕は彼らを食べる場を選ばない。ある時は電車で、ある時はバスで、そしてまたある時はショッピングモールの食品売り場で食べ歩く。「胃袋に空きがある限り、僕は食べる」が信条。



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~ダンサーたちの名言~
ダンサーとは、踊るものです。
僕らに必要なのは、言葉じゃない。
世の中には、思いを伝える方法なんて無数にある。
でも、普段踊って表現しているからこそ、
口で何かを伝えるのが下手だからこそ、
何気なく言ったその言葉が光り輝くことがある。
たとえ綺麗な言葉じゃなくても、
それはちゃんと届く。

言葉とは、文字を置くものではなく声で響かせるもの。
言った人の人格や魂がこもっているかどうか、
それが言葉に重みをつけると以前書いた(9月30日更新の日記参照)。
サークルEと過ごした学園祭の期間、そんな言葉にいくつも出会った。
遅ればせながらここで紹介させていただき、
僕の中で学園祭に終止符を打たせていただきたい。



オレはこの35人でやれて本当に良かったです。コマ取ってくれてありがとう。心からありがとう。
byT君(フロムオタクトゥーロックフロム埼玉)

念願の曲責(=スペのコマ責)だった。昨年、ロックのコマ責にM君(暴れん坊将軍)、M君(若武者)、Y君(省エネロッカー)が名乗りを上げる中、彼はそれを避けた。彼は曲責になりたかったのだ。しかし、曲責プレゼンで当時3年の彼は、引退する4年の先輩に叶わなかった。その結果、同期4人のロッカーの中でコマ責をやらないものが自分だけ、という環境になってしまった。ミクシィで彼がヘコんだ文章を書いていたのを覚えている。
しかし、1年越しに願いは成就した。思えば、クラブイベの時もそうだった。2年前にI先輩(ギリギリ履修申告完了男)とチームオーディションに挑んだ時も落選。しかし今年、にわかポップロックチームで見事リベンジした。彼にとってこれまでが夢を蓄えた年だったなら、今年はそれを叶える年。学園祭のポップロックの曲責になった彼はいつも通り陽気にコマを進めたが、決意は相当なものだった。
ポッパーロッカー、合わせて35人が志望した。オーディションの結果、合格者は…35人。彼は一人も落とす事なく、ステージに立たせる事を選んだ。仁義にアツい、彼らしい決断ではあったが、『スペ』でそれをする事は批判を受ける可能性が大いにあった。
上記の言葉は、彼が本番前日にコマ生に流したメーリスの一部だ。振りや構成はもちろん、衣装や笑いの要素にもこだわりを詰め込んだ珠玉の3分間。それに参加してくれたコマ生への、真っ直ぐすぎる感謝の言葉。きっと、胸の高鳴りが収まらなかったはずだ。
後夜祭が終わり、彼の家で飲んでいる時。僕は「今だから言うと、最初オーディション全員合格にした時、‘大ジョブか?’と思ったんだ。でもそのおかげで、全員でゴールした感じがあるんだよ」と言った。
「だろ?」。
ニヤリと笑った彼の顔が、忘れられない。


振りはソウル的なものは一切入れない。今年で卒業する人間はおいしくはする予定。
byY君(省エネロッカー)

思いを上手く口に出来ない人間、考えを素直に表せない人間はしばしば苦労する。この男はその典型例だった。1年の頃、新歓合宿を欠席して始まったサークルE生活。周囲のロッカーのキャラの濃さに押され、確かミニ学園祭あたりまではただの目立たない長身のロッカーだった。僕が彼と話し始めたのは1年のクラブイベのロック飲みの時。幹事をする都合で集合場所にいち早く向かった時、ぽつりと立っていたのを覚えている(2007年6月17日更新の日記参照)。今となっては信じられないが、確か彼は集合時刻よりだいぶ早く現場に着いていた。
「ロック飲み…だよね?」
互いがサークルEかどうかもよくわからなかったが、チラチラと目を合わせた後僕はそう話しかけた。超人並みに人見知りな僕と変態並みに無愛想なこの男。飲み会はY君が一番壁際で僕がその隣り。強い酒をメチャクチャに混ぜたお飲み物を二人で乾杯させられ一気した。Y君は半分ぐらい残していた。
夏合宿でチームを組んで(2007年8月29日更新の日記参照)以来、なんとなくコイツの『深さ』に魅力を感じ始めていた。初めて会ったヤツは、いやもしかしたらこの世の大半が誤解するだろう冷淡さ。しかし目を凝らしてみると、彼にはなにか燃えているものがある気がした。
僕は1年の夏合宿でM君(暴れん坊将軍)に殴られリアクションをしてからいじられキャラとして着々と階段を上って…いや下っていった。しかし、Y君がサークルで注目され始めたのは髪を長髪にしたりしたミニ学園祭の前後だった。遅刻魔としての資質、体の硬さ、そして基礎練をしないでフリーで踊りまくる練習法。2年になりロッカーが『5人』になってからは、完全に自分の居場所を確立し、愛されていた。
そして彼もまた、サークルEを愛していた。サークルEをレペゼンする意識で数々のバトルに単身乗り込み、散る度に唇を噛んできた。家に帰ってからは、何時間もダンスに使えそうな曲をネットで探した。
この4年間、彼が聞いた音楽はリアルに数万曲を越えるという。その彼が、今年学園祭のロックコマのコマ責に立候補した。上記の言葉はコマ生を募るプレゼン資料から。ソウルも出来るが一直線型の彼は敢えてそれを組み込まなかった。そして賛否を恐れず、堂々と「4年をおいしくする」と言ってのけた。それは僕には、『だから同期ロッカー、全員集まれ』というメッセージに確かに見えた。そしてその言葉は全員に届いた。Y君のロックコマ。M君(暴れん坊将軍)、M君(若武者)、T君(フロムオタクトゥーロックフロム埼玉)、そして僕………全員結集。赤い炎を爛々と燃え上がらせるロッカーの中に、青い炎の彼がいた。


ずっと厳しいこと言って来たけど、凄く良かったからさ…。
byM君(若武者)

ガンガン笑いを取りにいくT君(フロム埼玉)、元代表として厳しい目を合わせ持つM君(暴れん坊将軍)、ひたすらいじられる米田、遅刻魔界のエースY君(省エネロッカー)。そんなキャラの濃い同期ロッカーの中で、彼はそのいずれにも属さず異彩を放つ。最大の魅力は、ダンスへのひたむきな努力と飽くなき探求心。ものも言わず練習し、一人静かに何かに落ち込む。2年の学園祭で納得のいく立ち位置がもらえなかった時も、思い入れのあるチームで挑んだコンテストに敗れた時も。そんな姿をいつも見ていた。
その彼が、M君(暴れん坊将軍)と組みロックスペの曲責を務める事になった。コマ中、みんなの前で話すのはあまり多くなく、全体的に口調も穏やかだった。しかし、掲げた目標は関東1。関東で一番いいショーケースを作るために、躍起になっていた。本番が近付くに連れ、コマの最後にいうコメントも厳しいものとなっていった。
上記のコメントは、そんな彼が最後のコマで言ったホントの本音。そこには、やるだけの事はやったという充実感でコマ生に本番を楽しむように指示するM君の姿があった。
そして本番。大喝采を浴びた関東1のロックスペのあと、メーリスで彼は言った。
『最後にお願いが一つ。来年は今年を越えてください』。
飽くなき探求心は、こうしてきっと来年も伝承される。どうやら彼の中で関東1は、今年だけの目標ではなかったようだ。


愛する同期と踊れる最後のステージで完全燃焼する。
byM君(暴れん坊将軍)

2009年度。彼はサークルEの代表を務めた。僕は正直、気の毒に思った。代表とか副代表ってのは腹の立つ制度だ。1、2年で必死こいて練習して頑張った人間に、『責任感』とか『信頼』とか『実力』って言葉を突き付けて、ダンスが出来ないぐらい忙しい闇に封じ込める。代表もコマ責もやった事ないが、僕の中でこの二つは全然違うものと考えている。コマ責が時間を割かれるのはあくまでその大半がダンスに関する事―つまり振り作りだとか、構成作りだとか―だが、代表は違う。いつどこで何をやり、それは誰に仕切らせる―そんな事を、大好きなダンスの練習時間を割いてやらなければならない。隣りで踊る同期を羨ましがり、実力を伸ばす周囲に焦り雑務をこなし、責任者として時に鬼を見せ、そして嫌われ役もこなす。僕は直接は彼の代表の1年間を見ていないが、きっともがいたんじゃないかなと思う。
ただ、確かに始めは気の毒に思ったが、今は彼が代表をやってくれて良かったと思っている。彼のダンス、サークルE、そして同期への愛は本物だ。つまらない意地やプライドではなく、芯の通った彼の言葉にサークルEはついてくる。
上記の言葉は学園祭が目前に迫った11月17日、彼がサークルEのブログに書いた決意だ。その思いは、グダグダな3サークル合同練習を最後にそのままフワフワと本番を迎えかけた後夜祭にも通じた(11月27日更新の日記参照)。『さっきの練習で俺はこいつらに負けたくないって気持ちが膨れ上がりました』とメーリス。全力を指示した。彼は最後の最後まで、サークルEと、同期と、ステージに立てる事の尊さを忘れなかった。
オレのサークルEへの愛も相当なもんだが、M君、認めるよ。お前には負ける。お前こそ最高のサークルELOVERだ。


結局今年も学園祭でスカッとすることができなくて…たぶんダンス人生の一生の課題なんだと思います。
byMさん(鬼神)

世の中には、2種類の人間がいる。強い人間と、弱い人間。残念ながら僕は、前者ではない。そんな僕だから、人一倍強い人間に憧れている。そして僕が思う『友達』とは、そこに敬意を抱けるか否か。ゆえに、友人には出来る限り強くあって欲しいと願っている。だから、この子にも。
11月16日更新の日記で、僕が『強くあれ』と言ったのはコイツのことだ。彼女は、強い人間ではない。ただ決して勘違いしないでほしい。彼女は弱い人間でもないのだ。強いて言うなら、正しい人間。真っすぐな人間。人のせいにすること、声を荒げることが苦手で、全てを自分のせいとして、閉じこもる。ダンスが好きで好きでたまらないからこそ、人一倍この4年間のダンス生活で、悩んできた。
2年の頃、クラブイベでポップのコマ責をした時は、本当にどうしようかと思った。コマ責会議で落ち込み、コマの出来に落ち込み、でも頼る者がいなく。ただ、逃げなかった。4年の学園祭。『New HipHop』というサークルEでは目新しいジャンルを開拓し、曲責に立候補。目新しいジャンルがゆえ、誰も頼れず、また苦しんだ。そんな中彼女か取った行動は、とにかく苦しむことだった。コマ生なら徹底的に付き添って、下手でも上手くする。コマ生は『深夜練』や『補コマ』を嫌うが、一番大変なのはそのコマ責、曲責だ。なにしろ、指導者がいなければ進まない。進行が間に合わなかったり、実力が伸びなかったり、それなのに学園祭は迫り、通し練ではボコされ。だから、コマ生の都合が合いそうならたとえ参加者が数名でも補コマを開いた。ただ、そこでとあるハプニングが生じ、コマ生の一人が愚痴をこぼしたという。よりにもよって、ミクシィで。真っすぐな人間であったため、彼女は傷ついた。そしてまた、自分を責めた。T君(フロムオタクトゥーロックフロム埼玉)のポップロックのコマが終わったと、耐えられなくなったのか階段の踊り場で泣く姿を見た。2年のクラブイベの時にボロボロになったあの姿が、フラッシュバックした。でも、僕は何も言ってやれなかった。言葉をかけるには、コマ責も曲責もやっていない僕の立場はあまりに能天気すぎた。黙ってそこを通り過ぎる事しかできなかった時、後にも先にも初めて、サークルEに帰ってきたことを後悔した。
Mさんは諦めなかった。本番までその後も何度か隠れて泣き、それでも本番、サークルE初の『New HipHop』をかました。十分な出来。でも、彼女は晴れはしなかった。ステージが終わり、僕ら13期生が一人ずつコメントを求められた。ゆっくり立ち上がった彼女は、後輩にメッセージを残したあと、自身のこの学園祭の感想について触れ、上記の言葉を言った。毎年、学園祭に課題を残してきたという。僕のように単純じゃないダンスへの姿勢。
「でもMさん、オレはすげぇよかったと思うんだけど」。
立ち上がってそう言ってやろうかと思ったが、出来なかった。それぐらい、あまりにもその姿勢は尊すぎた。彼女がそう言うなら、仕方がないのだ。
いつかのメールで、彼女は『一生踊り続けると思う』と僕にいった。いつかオレは、彼女にダンスでスカッとしてほしい。


クソォォ!
byR君(シャイニングブレイカー)

ステージでスカッとすることができなかったと言ったMさん(鬼神)の言葉に、僕の隣で強く頷いたものがいた。R君だ。いつも天真爛漫、元気いっぱいの彼もまた、ステージに大きな落とし物をした一人だ。
『シャイニングブレイカー』は、僕がつけたここでのニックネームの中で1、2を争うぐらい上手く表現できたと思っている。彼が踊ると、みんなが幸せになる。沈んだ気持ちも面倒な問題も、全部吹き飛ばしてくれるような輝きを放つダンスを、彼はする。それはきっと、彼が『天才』ではないからなのだと思う(2008年10月2日更新のエッセイ参照)。
今でも思い出す。彼は1年生の春、ロッカーだった。すぐにブレイクにも手を出し、でも三点倒立もろくにできなかった。それが、T先輩(ダンスサークルB29)やK先輩(レジェンドオブ肝試し)といった先輩たちにぴったりとくっつき、ずっと練習していくうちに、少しずつブレイカーとしての形を作っていった。そしてその真っすぐな姿勢は、驚くほど純朴だった。極めるため、ロックをやめた。同期のY君(シューティングスター)とM君(暴れん坊将軍)と切磋琢磨しながら、ヘッドスピンを本当に完成させたのは、1年以上かかってのことだったように思う。
そんな『努力家ブレイカー』は、3年生で副代表になった。練習時同様、彼はその責務に関しても、周囲に自らの弱さを見せなかった。少なくとも、学校でたまに会ったぐらいの僕には、全く感じられなかった。それは、苦しみをも楽しみに変える、そうできないものは全力で強がって隠す、愚痴も言わない、易々と泣かない彼の生き方だ。僕には彼のそんな生き方も、輝いて見えた。
彼は最後の学園祭、ホーシングの曲責を務めた。「ブレイクの立ちを練習したかったから」とK先輩(ミスターヴァーリトゥード)に教えを請い、一つのジャンルとしてサークルに芽生えさせた。でも、ブレイクへの姿勢はもちろん変えなかった。後輩S君(完璧男)のコマのムードメーカーを務め、そして最後大役を得た。ブレイクでの4×8カウントに及ぶヘッドスピンからのフリーズムーブだ。僕はそのシーンを、世界で一番近くで見られる特等席・・・彼の近くで彼に手を伸ばす振りをもらった。
神は、罰を与えようもないこの男に、ステージでいたずらをしてしまった。完璧なヘッドスピンからのフリーズは、体が傾き不完全になった。
「R君!!」
手を伸ばしながら、僕はふと叫んだ。R君が初めて見せた心の底からの悔しみの叫び「クソォォ!」は、僕の耳から離れてはくれない。
この4年間、彼がサークルEに、そして僕に与えたものはあまりに多く、大きかった。だから、もし万が一また同じステージに立つことになったら、その時は「シャァァ!!」と叫ぶ彼の声が聞きたい。


さすがのM先輩(鬼ロッカー)でも、あの時は殺してやろうかと思いました。
byK君(飲み会ハッスラー)

今回、K君(飲み会ハッスラー)とは共に踊る機会はなかった。ポップロックは彼は取らなかったし、ホーシングは僕が取らなかった。だから、この数カ月の学園祭練習で話した数もそう多くなかった。でも、彼も言ってくれた。T君(守護神)とMさん(ダブル激写)と共に曲責を務めた、ヒップホップスペ。ステージ終了後の13期生からのコメントで、彼は曲責として、M先輩のいる前で堂々と言った。
M君(暴れん坊将軍)がロックスペに、後輩S君(完璧男)がブレイクに賭けていたように、今回のK君たちヒップホップスペへの思い入れは並々ならぬものがあった。現に、他ジャンルの知識に疎い僕でも、今回のヒップホップスペは本当に魅力的だった。曲選、曲編、ソロ出しの構成、振り・・・全てカッコ良かった。
それだけに、本番は盤石の状態で挑みたかったはずだ。だが、前日のリハで状況は一変した。リハの様子をM先輩(鬼ロッカー)が見に来た。素直に愛情を示すのが苦手で、時に大きな誤解を抱かれるM先輩。この日もそうだった。恐らく、M先輩はみんなのフワフワした気持ちを引き締めようとしてくれていた。だからリハ終了後感想を求められ、「明日は後悔のないよう、楽しむように」といった甘い言葉ではなく、敢えて「全然何も伝わってこなかった」「つまらなかった」という辛らつな言葉をかけた。精神的にギリギリだったコマ責、曲責に、この言葉は鋭く、残酷だった。
彼がみんなの前で言った『あの時』とは、このことだ。ヒップホッパーのエースだから、ヒップホップスペの曲責だから―――彼は本番まで弱さを見せず、M先輩にも感情を隠し通した。だから重責を終え、やっと本当の気持ちが言えた時、「あの時は本当に悔しくて・・・」と目頭を押さえた。何かを守るために耐え、それを終えてほっとしすぎて目からこぼれる・・・男泣きとは、こういうことだ。
「本当にすみませんでした!」
と笑顔で土下座したのはOBとして話を聞いていたM先輩。
立って涙のK君と、ひざまずいて笑顔のM先輩。正反対の状態だった両者だが、僕の目にはどちらも本当にカッコよく見えた。ヒップホップスペ、最高だった。


曲責をしたって感じがないんですよね。
by後輩M君(ボーグのラストエンペラー)

人に順位をつけたくはないが、やはり数多く後輩がいれば、その中でも思い入れの強い人間が出てくるのは仕方がない。後輩M君は、それに属す。1年生としてサークルEに入ってきた時の彼は、その後見違えるほど成長し、今に至った。
明らかに『イロモノ』だった。喋り方や風貌にひと癖あり、もともと若干あったダンス経験によってロックには独特の癖が付きまとっていた。夏にロックチームとして出たイベントQ(2008年8月20日更新の日記参照)では、ショーケース中に笑いが起きた。ただ、憎めなかった。どんなに馬鹿にされても蔑まれても、彼は人を馬鹿にしたり蔑もうとはしなかった。そして努力を惜しまなかった。
「もしかしたら途中でサークルEをやめちゃうかもな・・・」
あまりに周りが辛くあたっていたのでそんな事も思ったが、彼に何かを感じ、『かずひロック』にも呼んだ(2008年9月24日更新の日記参照)。
転機はその年の学園祭。『長身・細身・キモい人大歓迎』というA先輩(パイオニア)のメーリスに「オレ全部当てはまってます」とボーグに参戦。驚異的な関節の柔らかさも評価され、大役を任された。そしてその後、徐々に単身各サークルのイベントに乗り込むようになった。気がつけば、彼を馬鹿にする者はいなくなっていた。彼は実力で、周囲を黙らせた。
その実績が称えられ、3年になり副代表になった。学園祭のボーグの曲責になったのも、必然だった。僕が2年の時初めて学園祭でコマとして成り立ったボーグ。それを見た時、‘これを超えるステージはもう無理だ’と思った。でも翌年、後輩M君はR先輩(酒豪 of the ギャップ)と曲責を務め、観客席にいた僕に前作を超える作品を見せつけた。そして今年、それも超えた。執念は尋常じゃなかったとコマを受けたT君(フロムオタクトゥーロックフロム埼玉)は語る。
「コマのたびに、毎回なんかしらの音が足されてるんだよ。『あ、ここ効果音つけました』とか言ってさ。」
そして上記の言葉は、そんなコマを終えた後輩M君がT君に漏らした言葉だという。彼は曲責として大役をやり遂げた。しかし振りや構成は、コマ中にみんなで考えながら作ったという。そう。1年の頃、踏まれ蹴られた自身のダンス歴があったからこそ、彼は他を否定せず、生かした。そんな彼のコマだからこそ実現した、『曲責:全員』の奇跡の作品。
完成したボーグは、僕に3回目の「これを超えるステージはもう無理だ」と思わせてくれた素晴らしいものだった。


そんなのどうでもいいんだよ、後輩Aさん。
by後輩S君(完璧男)

ブレイクのコマ中、『家族』という言葉を何度も口にした。サークルのどのジャンルよりも練習し、笑い叫ぶブレイカー。絆もどのジャンルより深いという自信があるからこそ、コマ責の彼は力強く言った。「家族で一つの作品を作りたい」と。
クラブイベの打ち上げ(6月27日更新の日記参照)で、彼は「まだ今日の出来はオレらの2パーセントぐらいの出来でしかないので、学園祭まで皆さんついてきて下さい!」と言った。学園祭に向け、その時から彼の覚悟は決まっていた。代表としての雑務に追われることも先読みし、学園祭の出演ジャンルはブレイク一本。曲編と構成の考案は夏休み中に済ませて、「誰も代えのきかないステージ」を作ろうと準備を進めていた。理工学部ゆえの忙しさを言い訳にせず、代表業に追われても弱音を吐かず、それでもダンサーとしてみんなを引っ張ろうとした。通し練には余裕を持たせて振りを入れ、直前のコマでは「ブレイクが一番と言わせたい」「ブレイクを見せて他のコマを感化したい」と言った。彼は、勝負していた。
練習時間がなくなり苦しかった時期があるという。6月頃。連盟系列イベントやクラブイベントのオーガナイズ、学園祭の下準備に挟まれ、ダンサーの自分を失いかけた。近くで練習するブレイカーに誇りを持つ半面、焦りを感じたり、寂しさを覚えたと後で話した。だからこそ、家族には少しでも多く練習してほしい、自分も早く一緒に練習したいと願い続けた。
ブレイクは、通し練での完成度も評価され、文句なしで学園祭のトリとなった。本番までの厳しい練習で、後輩M君(レペゼン卓球部)が靭帯を損傷し、K先輩(レジェンドオブ肝試し)が右手の指を骨折した。しかし、家族は後輩S君の気持ちに応えた。後輩M君はリハビリを敢行し、K先輩は右の掌を使わなくてもヘッドスピンができるようフォームを変えた。しかし、悲劇が襲う。
前日、後輩N君(いぶし銀)の靭帯が損傷。ドクターストップがかかった。家族全員でステージに立てなくなった悪夢に、ブレイカーは場当たり前のステージ脇で涙を流した。「誰も代えのきかないステージ」だけに、焦りが生じた。それでもその日、再起した。解散直前、緊急で振り入れを敢行。穴を埋めたのは後輩M君(レペゼン卓球部)とK先輩(レジェンドオブ肝試し)だった。その夜、後輩S君(完璧男)はメーリスを流した。
『ブレイカー、結束の時です。試練は僕らを強くするために与えられるものです。必ず乗り越えられます。俺ら家族だから。』
前日に壊れそうになったブレイクのステージは、こうして当日、ちゃんとそこにあった。ステージは生ものゆえ、完璧な出来には至らなかった。でも、二度と体験できない歓声を全身に浴び、僕らはステージを降りた。
そんなコマ責だからこそ、コマ責プレゼントで感謝を示したかった。打ち上げで、ブレイクのプレゼントタイムは最後だった。しかし、プレゼントのメッセージカードの作成を担当した後輩Aさん(軟体ブレイカー)は直前で涙を流し、「渡したくない」と言った。彼女は他のコマのプレゼントの出来のよさに、劣等感を覚えてしまった。でも、後輩S君(完璧男)はそこで言った。
「そんなのどうでもいいんだよ、後輩Aさん。オレはさ、ブレイカーの・・・家族みんなで練習する時間が何より大事だと思ってるからさ。プレゼントは、みんなの大事な練習時間を割いて作ってくれてる。みんなが必死で練習してたの、オレ見てたからさ。それが嬉しかったからさ。だから、プレゼントがどうとかじゃなくて、みんなで一緒にいられたのが、何よりのプレゼントなんだ。」
家族と過ごしたNever Againな時間は、2010年11月20日、確かに刻まれた。

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